1860年(万延元年) 横浜に初めて玉突台が置かれる

(2004.01.31)

 プロシャ(ドイツ)も開国日本へ向かう。

 米や英、仏らの列強が次々と日本と通商条約を結ぶ中、東アジアへの進出が遅れていたプロシャ(ドイツ)も遅らせばせながら日本に遠征隊を派遣し、1860年9月に日本へ到着しています。
 その遠征隊に参加したグスタフ・シュピースの 「シュピースのプロシャ日本遠征記」には1860年に横浜居留地で利用したホテル、「蹄鉄ホテル」について以下のように書かれています。
 「所謂食堂と、是と同様の特徴を備えた撞球室もあったが、バー即ち船などの放浪客の為の酒売り場もあった。此の土地にたった一つしかない此の玉突は、非常に繁昌していた。刺激といふものは、人間にとって、実に必要なものであるらしいが、1ドルか半ドル賭けた一種の賭球で満足された」
 この「蹄鉄ホテル」とは「横浜ホテル」のことです。(ホテルと日本近代より)
 居留地に住む外国人も「時にはホテルを訪づれて、此処で唯一の娯楽機関たる撞球を楽しむこともあった」とあります。閉ざされた空間での娯楽はビリヤードが一番。もうこれは長崎出島からの伝統。
ちなみにこのホテル、宿泊料は日に2ドル、月に50ドルでした。賭球が1ドルか半ドル、安かったのか高かったのか。
ともあれ、横浜に初めて玉突台が設置されたのは1860年横浜ホテルで間違いないでしょう。

参考文献 シュピースのプロシャ日本遠征記 グスターフ・シュピース 奥川書房
ホテルと日本近代 富田昭次 青弓社



横浜居留地ホテルの一室。
いろいろな国籍の男たちが集まり、玉突に興じている。
そこに一人の男が入ってきた。最近横浜に来たプロシャ人だ。

プロシャ人「この中で玉突が一番上手いのはドイツだ?

・・・嗚呼今日も横浜は黄昏ていく・・・