1870年(明治3年)横浜居留地玉突き 開化錦絵に登場

(2003.01.26)

 横浜居留地のビリヤード台第1号は横浜ホテルの火災(1866年)で焼失してしまいましたが、どっこい玉突き野郎はそんなことぐらいじゃめげません。いつのまにか新しい台が日本に到着しています。
 明治になり横浜に新しい文化がどっと入ってきました。浮世絵師たちは好んでそれらの様子を描いています。これらは横浜開化錦絵と呼ばれ、庶民の間では大変な人気だったようです。
その中に明治3年頃三代目歌川広重が横浜居留地の風俗を描いた「異人玉ころがしの図」という作品があります。

 港町横浜らしく窓の外には海。辮髪の中国人もいます。右側の窓に屋根が見える事から、この部屋は二階でしょう。その屋根の位置、またコロニアル・スタイルのベランダがあることからみて、この建物はインターナショナルホテルではないでしょうか。インターナショナルホテルは1870年に「ジャパン・ヘラルド・ディレクトリー」に広告を載せましたが、それにもビリヤード室があることを載せています。

 絵の中でキューを持っているのは9人!台の上の玉は赤玉5個、白玉5個 計10個!彼等はなんのゲームをしているのでしょうか?
ピラミッド(スヌーカーの原型・15個の赤玉を使う)にしては白玉が多すぎますし、なによりゲームであるならば、玉を落すにしろ当てるにしろ構えている人のキューの先にそれらしい的玉がない事から (まして同時に突くなんて)、ただ玉を転がしているだけではないかと。
 またこの台にはサイドポケットがありません。アメリカ製の台でしょうか?

 四個穴のしかも大台(長さ約3.6M)がアメリカで流行したのは四つ玉6個穴台から四つ玉穴無し台に移行する間の短い期間(1863年から1869年ぐらい)です。インターナショナルホテル開業が1868年。おおっ!結構最新式の台じゃん。

※この時期、横浜居留地ではコマーシャル・ホテル(1864年開業)コロニー・ホテル(1864年開業)ヨコハマ・ユーナイテッド・クラブなどにもビリヤード台がありましたが、台の種類など詳細は不明。
参考文献 横浜開化錦絵を読む 宗像盛久 編 東京堂出版
浮世絵大家集成 続第3巻 大鳳閣書房
ヨコハマ洋食文化事始め 草間俊郎 雄山閣出版


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