1877年(明治10年)国産撞球台 製造される

(2002.07.30)

 日本初の国産撞球台は明治10年、吉野商店によって製造されました。
明治15年までは年間生産台数1〜2台で、16年にやっと年間生産台数が3台に達し、吉野商店ではこれを祝い宴を催したそうです。
 この国産台は当然外国の台のコピーで、クッションのゴムはビリヤード用に製造された物ではなく、蒸気機関用のパッキングを切り伸ばした物を継ぎ合わせてクッションに使用していました。クッション用のゴムを輸入するようになったのは明治23年以降のことでした。
 まだ時代がノンビリしていたのか、台製造の職人さんたちは石版の継ぎ目を埋める「カルク(石灰)」に洋酒のブランデーが必要だとか、「カルク」に鶏卵の白身を混ぜるのが良いと言ってブランデー1瓶や鶏卵5、6個請求していました。実際に使用するのはブランデーなら杯1、2杯程度、鶏卵なら1個の白身で足りますから、残りは職人さん達の胃の中に収められていたようです。職人さんたちもやりますね!
 その後、国内のゴム会社の誕生や石版の国内産出、また製造業者の増加もあり撞球台の生産台数は明治25年頃から飛躍的に増え、明治30年には年間100台以上になったそうです。

参考文献 撞球指南 玉乃 一熊 民友社


職人A  玉突き台、これで出来あがったな。ちょっと休むか。

職人B  この余ったブランデーと卵、いただきますか。

職人A  おう!ブランデーと卵を使った料理教えてやるよ!お前台所からご飯持って来い!

職人B  へ、へい。

職人A <用意する物>
卵1、2個
ブランデー 少々
冷や飯 どんぶり一杯
胡麻油 少々
石版 一枚

<作り方>
1、石版はよく焼いて胡麻油を引いておきます。
2、冷や飯を石版の上で炒め、卵を混ぜます。
3、仕上げにブランデーをかけて「石焼き卵チャーハン」の出来あがり。

職人B  先生、これなら急なお客様でも大丈夫ですね。

職人A  はい、石版が熱いので、十分注意してください。

職人B  先生、今日はありがとうございました。
来週は卓球台の残り物で作る「ピンポンラーメン」を放送します。

職人A  それでは来週までさようなら。